トップ 文章 画像 音声 配布 特設 宝物 リンク 連絡

海馬×表遊戯。
武藤遊戯の誕生日(6月4日)記念作品(なのに遅刻投稿していた)。
ゲーム絡めないとおめでとうも言えないプレゼントもあげられないケーキも食べさせてあげられない可哀想な人の話。
チェスは雰囲気チェスなので、マジで深く考えないでほしい。麻雀以外何も分からん。

武藤遊戯の
誕生日を祝うな

爽やかな正午の日差しが差し込む空間に、些かも似つかわしくないくぐもった叫び声が響いている。

「お願いだ、海馬くん! ここから出して!」

声の主はその背格好から中学生にすら見えるが、其の実三カ月程前に高校を卒業している。目に鮮やかなロイヤルブルーのシャツを羽織り、大きくはだけられた胸元には黒のインナーが覗く。タイトなグレーのスキニーが、ただでさえ棒のように細い脚を更に細長く見せている。外見の幼さはともあれ、成人となるまでさして時は要さないであろうその少年の正体は、今や決闘者の世界で知らぬ者はない──決闘王、武藤遊戯その人である。

今朝方、遊戯は突如現れた黒スーツの男達に目隠しをされた上、問答無用で車に押し込められた。抵抗の隙も与えられずどこかへと運ばれている最中、不安と恐怖を感じながらも、遊戯の脳裏には予想される首謀者の顔が浮かんでいた。

──彼の仕業に違いない……。

辿り着いた先で、両脇を固めていた屈強な男達の手によって目隠しが取られると、向かいのデスクには予想に違わぬ首謀者の姿があった。
それを視認した瞬間、何の前触れもなく瞬時に床から天井までせり上がった強化アクリルのように見える薄く頑丈な透明の壁によって、遊戯はペットショップの動物の如く閉じ込められてしまったのだった。

首謀者──海馬瀬人は仕事の手を休め、コーヒー片手に一人チェスに興じている。何からの影響を受けることもなく、極めて優雅に。

「海馬くん! 一体どういうつもりなの!?」

視線すら寄こさず無視を決め込む海馬に、遊戯はいくら声を張り上げた所で無駄であることを悟った。
少なくとも、こちらが冷静になるまで応じないつもりだ──遊戯は諦めたように息を吐いた。長い睫毛を伏せがちにし、声のトーンを落として語りかける。

「あのね……きっとキミは忘れていると思うけど、今日はボクの誕生日なんだ」

「それで」

酷く素っ気ない海馬の返答に、遊戯はへこたれそうになりながらも続ける。

「……城之内くん達に呼ばれてるんだ。詳しくは教えてくれなかったけど、たぶん誕生日パーティーをしてくれるんじゃないかと思うんだ」

カツン──白樺の枝のように細長い指に摘み上げられた白銀に輝くポーンが、磨き抜かれた盤面に甲高い靴音を響かせた。

「今日一日、貴様を解放するつもりはない」

唖然として声を失った遊戯の絶望が、沈黙となって場に落ちる。海馬はチェス盤を見つめたまま微動だにしない。淹れたてのコーヒーから立ち上る湯気だけが、空間に動きを与えている。

「……どうしてこんなことをするの? 今のキミは、何の目的もなくボクに嫌がらせをするような人じゃないはずだ」

遊戯の口調が強くなる。責めているのでもなく、そうあって欲しいという願望を押し付けているのでもなく、海馬という男を理解しているからこそまるで解せない、といった風に。

「どうだかな」

海馬は黒のポーンを指先で弄んだ後、白銀の群れに向かって前進させた。

「きっと、何か理由があるんだよね?」

「貴様に教える義理はない」

遊戯は決闘の申し込みをするかのように意を決し、多めに息を吸い込んだ。

「じゃあ、もし当てられたら……ここから出してくれるかい?」

遊戯の掌が透明な壁を軽く叩く。海馬は冷徹な光を放つ蒼玉を鋭く細め、ようやく遊戯を正視すると、不敵に口角を吊り上げ、僅かな昂りを感じさせる声音で答えた。

「いいだろう、乗ってやる。回答のチャンスは三回与えてやろう」

遊戯の表情に希望が満ちる。こうして与えた希望を削っていくのが何よりの楽しみなのだと海馬は内心ほくそ笑んだ。

「うん、分かったぜ!」

遊戯は探偵がするように顎に手を当て、考えを述べ始めた。

「まず、今日はボクの誕生日だ。キミはあまりそういうものには興味を抱かないイメージがあったけど、もしかすると、キミはそのことを覚えていてくれたんじゃないかな?」

駒を進めている最中だった海馬は、遊戯の問いには答えもしない。

「だとすると……やっぱりサプライズとかさ」

「整理してから具体的に言え」

カンカン、と白銀の駒が盤面を蹴って催促する。

「ええと、つまり。キミはボクの誕生日を祝う為に、ボクを攫ったんじゃないかと思ったんだ。例えば……プレゼントとか──ケーキとか──そういうものが用意されてたり……するんじゃないかって」

言いながら、遊戯の頬はみるみる紅く染まっていった。自意識過剰だと思われたかもしれない。俯き、「これでハズレてたら恥ずかしいよな……」と小声で呟く。
海馬はそんな遊戯を見下げ、嘲るように鼻を鳴らした。

「このオレが貴様の為にわざわざそんなものを用意すると思うのか?」

遊戯は眉根を寄せ、目を逸らしながら答えた。

「う、うん。そうだったら嬉しいなぁって願望でもあるけど──」

「ハズレだ」

黒のポーンが細長い指に弾き飛ばされる。遊戯は咄嗟に目を強く閉じ、びくりと体を竦ませたが、遊戯の顔めがけて真っ直ぐ飛んだそれは透明な壁に直撃し、コロコロと床に転がった。その時初めてそれが普通の駒ではなく、モンスターを象ったデザインのものであることに遊戯は気付いたが──その点に興味を示すより、嘆く方を優先した。

「ええ~っ!! 正解だと思ったのに……!」

「おめでたい奴だ」

白銀の駒が、上機嫌を隠すことなく高らかな靴音を響かせる。

「ああ、希望の綱がいきなり絶たれた……」

遊戯は繰り返し嘆いた。

「やはり、貴様如きがオレの考えを理解するなど不可能か」

海馬はほぼ無表情のまま愉快そうにくつくつと喉を鳴らし、黒の駒をくるくると指の間で回し続けていた。その手つきを見ているうちに妙なエロスを感じ、自らが駒となって弄ばれているような錯覚を覚えた遊戯は、気分を切り替えるように口元を引き締め、再び顎に手をやった。

「決め付けるにはまだ早いよ……そうだな、ボクに何かやらせたいことがあるとか? そう、仕事の関係で」

「それが回答か?」

海馬はつまらなさそうに返し、分かりきった展開に飽いたような雑な手つきで駒を進めた。

「うん。キミはボクに何か仕事をさせたいに違いない。当たったら当たったでイヤなんだけど……正解じゃないのかい?」

「……ハズレだ」

銃声のようなけたたましい金属音と共に、黒のナイトが白銀のナイトによって弾き飛ばされた。

「ええ?! これも!?」

海馬は追い詰められ焦燥を露わにした遊戯を見据えると、涼しげな眦に愉悦を滲ませた。

「ラスト1ターン。次を外したら……分かっているな?」

「それはもちろん……でも参ったなぁ……城之内くんやみんなとの約束が……」

遊戯は頭を抱えた。ここで当てられなければ、城之内達との約束を反故にするだけでなく、連絡のつかないことで多大な心配をかけてしまう。頼んだ所で、わざわざ海馬が城之内達に連絡などしてくれないことは分かりきっていた。

「どうした、サレンダーか」

煽るようなその言葉に、遊戯はゆっくりと顔を上げ、目を見開く。いつか見たような力強い表情に、海馬は胸の奥に火が灯るのを感じた。こう来なくては、と心中で呟く。

「……ううん、諦めない。キミの気持ちをちゃんと知りたいから」

白銀のポーンを倒す際、海馬の指には本人ですら気付かないような僅かな震えが走っていた。

「一つ質問、してもいいかな?」

「オレが答えるかどうかはともかく、独り言なら好きにしろ」

「うん。海馬くん、キミはボクのことを、昔は嫌いだったんじゃないかと思うけど、今はそうでもないよね?」

海馬は薄い唇を歪め、声に苛立ちを滲ませる。

「今更好き嫌いなどという幼稚な尺度で測れる程度の関係でないことは貴様も理解しているだろう」

「それはそうだ……とにかく、キミは単なる嫌がらせ目的でボクを閉じ込めているわけじゃないんだ」

遊戯は床に視線を落とすと、パズルを組み立てるかのように言葉を組み立て始めた。

「ただ一つ分かることは、キミは、何かが嫌なんだ。ボクにまつわる何かが。今日一日ここにいなきゃいけないってことは、それはやっぱりボクの誕生日に関係してることなんだ」

確かめるように遊戯が顔を上げると、海馬は興味深そうに見返した。

「ほう……」

「海馬くん。もしかするとキミは……ボクがみんなにお祝いされることが、嫌なんじゃないかな?」

駒を持ち上げていた海馬の手が、空中でピタリと静止する。

「何故そう思う?」

遊戯は中を確かめるように、ズボンの右ポケットに触れた。

「携帯が取り上げられてたからさ。誰かに助けを求めないようにするためだろうなと最初は思ったけど、ボクが誰かに助けを求めた所で、キミなら簡単に阻止出来てしまう。例え警察であっても取り合ってはくれないだろう。そういう時、いつものキミならあえて連絡手段を取り上げるようなことはしない。事態を面白くするために、わざと残しておくはずだ。だけど、そうしなかった」

「ということは、外部とボクとの繋がりを完全に遮断したい理由があったんだ。今日一日に限って。ボクの誕生日にボクをさらって、ここに閉じ込めて、キミ以外と話せないようにして──」

聞きながら、海馬はゆっくりと瞼を閉じた。人差し指が鞭のようにしなり、白銀のナイトを弾き飛ばす。甲高い音を立てて駒がぶつかると、透明な檻は瞬時に床へと引っ込む。
遊戯はほっと息を吐き、胸を撫で下ろすと、真っ直ぐ海馬に向き合った。

「海馬くん」

「貴様が王の器として、このオレと同じ時代に誕生したことは必然だ。言い換えれば、貴様はオレのために生まれてきたのだ。無関係の他者に祝われる必要がどこにある」

この世の真理を語るが如くよどみなく発せられた言葉に、遊戯はがっくりと肩を脱力させ、力ない愛想笑いを口の端に浮かべた。

「相変わらずとんでもないことを言うよね。キミってヤツは………」

「ふん。ともあれ、貴様はゲームをクリアした。どこへなりとでも行くがいい」

海馬はチェス盤や遊戯から視線を外すと、コーヒーを一口飲み、見飽きた観葉植物でも眺めるかのように机上のPCモニタを見やった。まだ仕事に戻る気配は無い。

「……ううん。キミが望むなら、暫くここにいさせてもらうよ。本田くんの仕事が終わってからだから、約束は夕方からだし。海馬くんだってもの凄く忙しいはずなのに、わざわざこうしてボクと遊ぶ時間を作ってくれたんだよね?」

「うぬぼれるな。休憩時間中の暇潰しに過ぎん」

「またまた?」

遊戯はここにきて、初めてリラックスした笑みを浮かべた。

「海馬くん。ボクはキミだけの為に生まれてきたわけじゃないと思うけど、キミと出会う為に生まれてきたのは確かだと思うよ」

遊戯は海馬に向かって歩を進めた。猫のようにつり上がった大きなアメジストの瞳が、真っ直ぐ海馬を見つめながら近付いてくる。海馬も目を逸らさず、デスクに両肘をつき、手の甲に顎を乗せて待ち構えた。

「海馬くん、ゲームは好き?」

遊戯は広いデスクに軽く乗り上げるようにして黒い駒を摘み上げると、軽快な音を立てて前進させた。

「好き嫌いなどという次元で語るものではない。オレにとっては生きる術──呼吸と同じだ」

白銀のキング──ブルーアイズ・カオス・MAX・ドラゴンが金属音の咆哮を轟かせる。

「好きか嫌いかで答えて欲しいんだ」

海馬の一手を読んでいたかのように間髪入れずに駒を進めながら、遊戯はキッパリとした口調で返した。
海馬は舌打ちをし、苦虫を噛み潰したような表情で白銀の駒を進め、黒のクイーン──ブラック・マジシャン・ガールを弾いた。

「……好・き・だ」

好意的な感情など微塵も感じられない、憤りをぶつけるようにして吐かれた三文字に、遊戯は吹き出した。

「ふふ、海馬くんは『遊戯』が好きなんだね」

「なっ──」

白銀のルークは、海馬のそれよりも短く、幼い印象を与える丸みを帯びた指先に僅かに突かれただけで、呆気なく倒れてしまった。
海馬は息を詰まらせたまま、己のミスに対してか、遊戯の発言に対してか、両者に対してか──動揺を露わにしたまま静止した。

「ボクは、自分の名前ってケッコー気に入ってるんだ。誕生日が来る度に、この名前を付けてもらえて良かったなぁって思う」

遊戯は桜色に染まった頬を照れ臭そうに掻きながら、穏やかに微笑む。

「ゲームって和訳すると遊戯でしょ? だから、誰かがゲーム好きだって言ってるの聞くと、自分のことを言われているみたいで嬉しくなるんだよね」

「……つくづくめでたい奴だ」

「ありがとう、海馬くん」

「何に対する礼だ」

「今日、二回も『めでたい』って言ってくれたじゃない」

カツン、カツンとテニスのラリーのようにテンポよく交互に刻まれていたリズムが止まる。

「……貴様の言動に対する率直な感想であって、他意はない!」

拗ねたように無表情を決め込む海馬に、遊戯は仕方なさそうにクスリと笑ったのち──紫の瞳を妖しく輝かせた。

「それはどうかな」

「何だと?」

海馬が再び盤面を視線を戻すと、いつの間にか白銀の猛攻をかいくぐっていた一体の黒のポーン──クリボーが自陣の懐に潜り込んでいた。

「プロモーション──ボクはこのポーンをクイーンに昇格させる!」

「ば、バカな! このオレがポーンの侵攻を見落としただと!」

現状の配置では、クイーンと化したクリボーの侵攻を阻止できない。とはいえ、海馬は自身のプライドから投了は出来ず、「おのれ…!」と歯を食いしばりながら無意味な一手を打たざるを得なかった。

「チェックメイト……ボクの勝ちだ」

黒のクイーンによって、白銀のキング──ブルーアイズ・カオス・MAX・ドラゴンが倒された。自身の重みから、無様なまでに大きな音が部屋全体に響き渡る。

「遊戯、貴様っ──!」

ガタッと音を立て、海馬は立ち上がった。

「海馬くん、キミにチェスで勝てる日が来るなんて思わなかったよ……ボクが変なこと言ったせいで、途中から完全に上の空だったでしょ」

「貴様、オレを動揺させるためにあんな戯言を吐いたのか?」

「いや、それは違うよ。キミがそんなに動揺するとは思わなかった」

海馬は天を仰ぎ、長く、長く息を吐いた。眉間を指先で揉みながらゆっくりとかぶりを振り、冷静さを取り戻した声で言い放つ。

「まぁいい。そのチェスセットはくれてやる……敗北の歴史が刻まれたチェス盤なんぞ、このオレの手元には必要ない」

「え、ええーっ!?」

遊戯は目を大きく見開き、仰け反った。思わず一歩後ずさり、よろける。

「こ、これ、ゼッタイ超ウルトラ級の高額商品だよね!? このブルーアイズの目の部分なんて、どう見ても宝石……というかサファイアに見えるけど……駒自体も全部キラキラしてるし……もしかして、プラチナなんじゃないっ?」

「その物体が何億円しようが、オレにとっては既に無価値も同然。下らん精神攻撃でオレの動揺を誘い、辛くも勝利をもぎ取った記念として飾っておけ。盗まれやしないかという恐怖でせいぜい眠れぬ日々を過ごすがいい」

「いやいや、気持ちは嬉しいけど、いくらなんでもこんなスゴい物は受け取れないって!」

「そうか。ならば捨てておいてやろう」

海馬はデスクからチェス盤を掴み上げると、背後のガラス窓を開け放つでもなく、そのまま振りかぶった。盤上の駒がいくつか床に転げ落ちる。投げるフリではなく、本気で投げるつもりであることは遊戯の目にも明らかだった。

「わあっ!! ちょちょちょ、ちょっと海馬くん!? 投げるのはやめてよ!! 下に人がいたらどうするんだよー!!」

咄嗟にデスクを乗り越え、海馬の腰にしがみ付いた遊戯だったが、身長だけでなく筋力にも大きな差があり、力づくでは止めることが出来ない。

「ダーメ! ダメったらダメ! 分かったよ、ボクが貰うから──」

その言葉に、海馬はようやく漲らせていた力を抜き、ゆっくりと腕を下ろした。

「それでいい。貴様はオレから与えられるものを拒まず、享受しろ。さもなくば貴様の寿命が無駄に削られることになる」

涼しい顔でチェス盤を手渡す海馬とは対照的に、遊戯は汗の滲む額に金色の前髪を張り付かせたまま、疲労に満ちた溜息を吐いた。

「肝に銘じておくよ……」

遊戯がチェス盤を机上に戻し、辺りに散らばった駒をせっせと拾い集めて並べ直していると、何の前触れもなく社長室の扉が開いた。
ひょこりと顔を出した、遊戯より小さな黒髪の少年に二人は注目する。

「兄サマ! 言われてたもの持ってき……」

「モクバ!」

海馬が鋭く声を掛けると、モクバは慌てて口を噤み、すかさず仕切り直した。

「……あっ遊戯ー! 丁度いい所に! お前の誕生日なんて完全に忘れてたんだけどさぁ?。なーんか急にケーキ食いたくなったから、磯野に買ってこさせたんだぜぃ! 食いたいなら、分けてやってもいいけど?」

モクバは頬に引きつった笑みを浮かべつつ、後ろ手に隠していた白い箱を胸の前に掲げながら遊戯へと近付いた。

「えっ、いいの?」

「もちろん! 別に何にも入れてないぜぃ!」

「今更そんなこと疑わないよ。ありがとう、モクバくん!」

遊戯が箱を受け取ると、モクバはニヤーッと悪戯っぽく笑みを深め、小走りで扉へと向かう。

「ックク、じゃあなー遊戯! せいぜい頑張れよ!」

モクバが去ると、遊戯は軽く左右に振っていた手を所在無げにふわふわと彷徨わせた。脳に残留した彼の言葉に違和感を覚え、ポツンと呟く。

「うん? 何を……?」

静けさを取り戻した室内に突然奇妙な居心地の悪さを感じ、遊戯は今すぐ走り出したい衝動に駆られた。
ゆっくりと顔だけ半端に振り向く素振りを見せながら、不自然さを感じさせないよう口を開く。

「そういえば、これは一体どこで食べたら良いんだろう? 応接室とか、休憩室とかに持って行こうかな? 海馬くん、良い場所知ってるかい?」

結局わざとらしいまでの棒読みになってしまった自身の口調に、遊戯はケーキを放り出して頭をかきむしりたくなった。

「ここで食え」

極度に温度を無くした声が命ずる。
恐る恐る体ごと振り返ると、海馬は椅子に腰掛けたまま、青く獰猛な眼差しで遊戯を串刺しにしていた。

「えっと、でも椅子が……」

「いいから来い」

「ええ?っ……」

何だか凄く嫌な予感がするよ……と口には出せず、遊戯は警戒しつつも律儀に海馬に近付いていく。
遊戯が横に立つと、海馬はその手から箱を取り上げ、チェス盤の上に置き──せっかく並べ直した駒を容赦無く床に払い落とされたので、遊戯はギョッとして逃げ遅れてしまった──空になった腕を素早く掴んで引っ張り込んだ。

「わっ! わっ、わわわ!!」

遊戯の軽い体はそれだけでバランスを崩し、片足を軸に半回転させられ海馬の膝の上に尻から着地した。間髪入れずにVRゴーグルを装着させられた挙句、長い左腕をがっちり回され身動きを封じられる。

「うわあー! なっ何するんだよ!」

身体と視界の自由を奪われ、遊戯の焦燥は最高潮に達した。暴れてもこの男からは逃れられないことを察し、すぐに大人しくなったが、背後から伝わってくる体温の意味深な熱さに心拍数が上がり、本能から来る震えが止まらない。

「今から貴様に数々の恐怖が襲い掛かる……」

ゾクリ──地を這うような低音が鼓膜を震わせ、遊戯は巨大な竜の舌に背筋を舐め上げられたかのような恐怖と謎の官能を味わわされた。
既に第一の恐怖に襲われているじゃないか!と内心ツッコミを入れながら、「何だって!」と驚きの声を上げると、海馬はフッと笑みを漏らした。

「ケーキは俺が食わせてやろう。貴様のやるべきことといえば、ただ雛鳥のように口を開け、咀嚼し、飲み下すことのみ。無事完食出来れば貴様の勝ち。ただし……」

たっぷりと空いた間に、遊戯の喉がゴクリと鳴った。

「恐怖に耐え切れず嘔吐、または叫んだ拍子にケーキを零したその時は、恐るべき罰ゲームが貴様を待っているぞ……フハハハハハハ!!!」

海馬の腕による拘束はさらに強まり、遊戯の身体はお化け屋敷で親とはぐれた幼い子供のように竦み上がった。

「い、嫌だーーー!! 城之内くん! 誰か! もう一人の……誰か助けてーーー!!!」

絶叫が晴れ渡った空に木霊する。遥かなる時空を超え、冥界の空にまで響き渡ったその声に応えた王の怒りの咆哮が蜃気楼を大きく揺るがしたが、海馬の高笑いの余韻は新たな日が昇るまで消え去ることはなかったという……。



-END-

2016.6.6